私たちの人生において、しばしば「なんのために生きているのか」という根本的な問いに直面します。特に現代社会では、将来を見据えた生活が重視されがちです。
高校生は大学進学のため、大学生は社会に出るため、社会人は家族や老後のため。ではいつになったら、「自分のために生きる」ことができるのでしょうか?
一度立ち止まって、この深い問いについて考えてみる価値があります。
学生時代からの目標設定
学生時代、私たちは大学受験や進学を目指し、そのための努力に多くの時間を費やします。
この時期、私たちは自分の将来のためだと信じて頑張りますが、その裏には社会の期待や親の願いも存在しています。その社会の期待や親の願いが、いつしか自分の願いだと勘違いしてしまうことが良くあります。
社会人としての役割
大学を卒業し、社会に出ると、今度は仕事とキャリアに焦点が移ります。働きながら、私たちは老後の安定や家族のために努力します。
しかし、この忙しない日々の中で、本当に自分のために生きているのかという疑問が浮かび上がることもあります。
僕も公務員になって、車を買って、結婚して、家を買って、しばらくしてから「このままで良いのだろうか?」と疑問に思うようになりました。
「自分のために生きる」ことの意味
「自分のために生きる」という言葉の意味は何でしょうか。
それは、単に自己中心的に生きることを意味するのではありません。「自分勝手に生きる」というような周りのことを気にしないマイナスの意味でもありません。
自分自身の価値観、情熱、幸福に基づいて生活を送ることを意味します。スティーブ・ジョブズが言っていた「他人の人生を生きるな」ということです。
自己探求と内省の重要性
自分のために生きるためには、自己探求と内省が不可欠です。自分が何を大切にしているのか、何に情熱を感じるのかを知ることが大切です。それには、時には日常から離れて、自分自身と向き合う時間が必要です。
僕は公務員をしている時には、「やりたいこと」が出てきませんでした。旅行に行ったり、知人に会ったり、日常から離れる機会を増やしてきたことで、少しずつ自分の気持ちに気付くようになってきました。
まとめ:自分のために生きる
最終的に、私たちが自分自身のために生きるとは、
- 自分自身の幸福を大切にすること
- 自分の価値観に忠実であること
を意味します。社会や親の期待が自分の価値観になっていることが良くあります。ですが、自分の気持ちに素直になり、自分の内面に耳を傾け、自己実現を目指すことで、真に充実した人生を送ることができると僕は考えています。
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